山本昌やイチローも行っているトレーニング方法とは?

現役時代は膝の怪我をした後から、初動負荷理論に基づいたトレーニングを取り入れていたということです。

このトレーニングは、株式会社ワールドウイングエンタープライズの代表を務める小山裕史さんが開発したもので、専用のマシンを使って行われるものです。

ウエイトをガンガン挙げて筋肉量を増やしたりするようなトレーニングではなく、関節の可動域を広げたり、柔軟性や反射機能を高めたり、しなやかな筋肉、体づくりができるトレーニングだということです。

長年酷使した左ひじは曲がらない可動域があるようですが、肩は痛みとは無縁だということです。20年ほど前に始めたこのトレーニングの効果が大きいと言います。

全国に専用のマシンが設置してある提携施設があり、初動負荷理論トレーニングができます。

初動負荷理論は次のように定義されています。

反射の起こるポジションへの身体変化およびそれに伴う重心位置変化等を利用し主働筋の弛緩-伸張-短縮の一連動作を促進させるとともに拮抗筋、並びに拮抗的に作用する筋の共縮を防ぎながら行う運動
引用元:株式会社ワールドウイングエンタープライズ

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出典:東海テレビ

この理論を使ったトレーニングは、多くの一流アスリートが取り入れており、野球ではマイアミマーリンズのイチロー選手が有名です。

専用マシンを自宅や球場に設置して日々レーニングと体のケアをしているということです。メジャー選手の間でもイチロー選手のトレーニングは有名です。

ゴルフでは青木功選手、サッカーでは三浦知良選手や本田圭佑選手など、他にも様々な競技のプロやアマ、多くの選手を指導しています。

国内のみならず、海外からもトレーニングのために来日する外国人アスリートもいるということです。

また、イチロー選手が2015年から履いて話題となっている高機能シューズ(スパイク)『BeMoLo(ビモロ)』はワールドウイングで開発されたシューズで、他の野球選手十数名も履いているようです。

山本さんはアドバイザリー・スタッフを務めているとのことですから、経験から培ったノウハウが詰め込まれているのでしょう。

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ビジネスにも使えるビモロシューズもあります。

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このシューズは、全国の提携施設や取扱店で購入できるようです。

2013年には、研究を重ねて完成した4種類の山本昌仕様マシンでトレーニングを重ねたところ、足首や肩の負担が小さくなり球の回転数が上昇。130km台後半の速球が140km台に球速が上がったということですから驚きです。

2011年には左足首を骨折した山本さん。当時47歳でこれですから凄すぎます。
この結果には、イチロー選手もかなり驚いていて、小山さんにいろいろと聞いていたようです。

この初動負荷理論トレーニングはアスリートのためだけではなく、筋力が弱った高齢者や、病気のリハビリにも使われており、幅広い年齢の方が健康維持や増進、回復のためにトレーニングをしているということです。

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山本昌とアイク生原との出会い

芽が出ないどん底の4年間を過ごし、焦り、自暴自棄に陥り、解雇もちらついた5年目。

1988年に中日ドラゴンズがキャンプに訪れたフロリダに一人残され、当時業務提携をしていたメジャーリーグのロサンゼルス・ドジャーズへ交換留学生として預けられることになります。

キャンプ終了から日本プロ野球開幕までの2週間余りが野球人生で全くやる気が出なかった時期だったそうです。

所属したのがマイナーリーグの1Aで、日本では4軍にあたるチームです。そんな山本さんが出会ったのが、ドジャーズの職員であったアイク生原さんです。

山本さんが野球の神様というアイクさんに指導を仰ぎ、野球の技術や心構えを教えてもらったそうです。

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出典:東海テレビ

生原 昭宏(あくはら あきひろ)
愛称 アイク生原
生年月日 昭和12年1月20日生まれ
出身 福岡県香春町
学歴 早稲田大学卒業
元ドジャーズオーナー補佐兼国際担当

1965年にドジャーズのオーナと知り合いで会った鈴木惣太郎さんの紹介により、野球指導者を目指して渡米し、ドジャーズのスポーケンというマイナーチームの用具係からドジャーズ職員としてスタートします。

フロリダのベロビーチで行われた巨人や中日のキャンプの成功や、日本プロ野球選手のアメリカ野球留学日米大学野球の開催に尽力した方で、プロ、アマ問わずに日米野球の発展に貢献したということです。

2002年、日米野球界に多大な貢献をしたことを讃え、野球殿堂入りをしています。

アイクさんは、山本さんのひたむきさ、一生懸命な姿に何とかしてやりたいと思ったそうです。

いつも言われたのが、「低めに投げろ」、「ボールを前で話せ」、「ストライクを投げろ」、「缶ビールは3本飲むな」(2本まで)だということです。

山本さんは、アイクさんほど野球が好きで、情熱を燃やしている人はいないと言います。

二人三脚の地道なトレーニングが実を結び、1Aで25試合、149回を投げ、13勝7敗、防御率2.00とし、1Aのオールスターにも選出されるほどの投手に成長し、メジャーからも声がかかる、注目を集める選手となっていました。

1988年、そんな山本さんに、当時優勝を争っていた中日ドラゴンズから帰国するようにと連絡があったそうです。

山本さんは「帰らない」と言ったそうですが、その気持ちを分かったうえでアイクさんが言ったんだそうです。「ヤマ、帰ろう

チームメイトや監督らから涙で見送られ、後ろ髪を引かれながら帰国した山本さん。

歴史にタラレバは無しですが、山本昌さんがあのままアメリカに残っていたとしたら、野茂投手よりも先に日本人でメジャーで大活躍していたのではないかと思ってしまいます。

アメリカから帰国し、日本のマウンドに立った山本昌さんは、交換留学生のときとは全くの別人でした。

自信と闘志みなぎる左腕から放たれる伸びのあるストレートや変化球のコントロールに加え、後に伝家の宝刀と言われ、打者のバットが空を切る、キレのあるスクリューボールを携えていたからです。

中日投手陣の柱へと成長したばかりか、1993年、1994年、1997年に最多勝、1993年に最優秀防御率、1994年には沢村賞に輝くなど、日本を代表する投手へ駆けあがっていきました

しかし、恩人であるアイク生原さんは、山本さんが活躍を始める1年前の1992年、55歳の若さで逝去してしまいます。

アイクさんの遺志を継いで、教え子として恥ずかしくない行動をとるようにいつも心がけていたという山本さん。

「アイクさんがいたからこそ野球がうまくなれた。アイクさんに出会わなかったら今の自分はない。」と振り返ります。

本当に素晴らしい出会いでしたね。自宅にはアイクさんの写真を置き、先発の日には手を合わせてから球場へ向かったそうです。

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出典:東海テレビ

節目があるたびに、アメリカ・ロサンゼルスで永眠しているアイクさんに報告に行っているということです。

とても強い師弟の絆を感じますね。

伝家の宝刀スクリューボールの握りは次のページで