1975年の日本縦断を皮切りに、リアカー「田吾作号」を引いて、地球一周分の距離を超える、43,107kmを歩いた冒険家が、永瀬忠志さんです。

5月20日(金)に放送する『クレイジージャーニー』に出演しますので、永瀬さんの冒険の歴史や経歴、プロフィール、現在は何をやっているのかなどを調べてみました。

それではチェックしていきましょう!

目次(この記事であなたにお伝えしたいこと)

  1. 永瀬忠志の経歴(プロフィール):P1
  2. 永瀬忠志の冒険家としての41年間の記録!:P1
  3. 永瀬忠志は、現在、何をやっているの?:P2
  4. 番組概要:P2
  5. おわりに(まとめ):P2
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永瀬忠志の経歴(プロフィール)

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出典:テレビ東京

永瀬 忠志(ながせ ただし)
生年月日 昭和31年
年齢 60歳
出身 島根県出雲市(大阪市東住吉区在住)

島根県出雲市で生まれ育った永瀬さんは、子供時代に自転車で遊びまわるうち、見たことのない風景や、人との出会いを通じて、その楽しさを知ったことが、現在の冒険の原点です。

高校時代には、地元から大阪の叔母さんの家まで10日の自転車冒険を敢行し、見事に成功。もっと長い距離を冒険できるのでは?と思い、1974年に自転車で日本一周に成功しています。

そして、大学へ進学した1975年、日本縦断の旅に出発。この旅がリアカーを引く冒険の始まりとなりました。

リアカーを引くようになったきっかけは、日本縦断の旅の時、重い荷物を持ち歩くにはどうしたいいか考えていたとき、北海道で農作物を運んでいる光景を見て、リアカーを使うことを思い立ち、荷物を載せて冒険を始めたのが最初です。

リアカーには名前がついていて、1975年の日本縦断では、「大左エ門」という名前でした。1978年から始まったオーストラリア大陸徒歩縦断から、「田吾作号」が始まり、その後は「田吾作スペシャル」や「田吾作ジュニア」と続いています。

永瀬さんは結婚して、2人の子供がいます。

2005年には、冒険家である植村直己さんの優れた人となりを後世に継承するために設けられた、植村直己冒険賞を受賞しています。この賞は、自然を相手に創造的な勇気ある行動をした人または団体に贈られるものです。

永瀬さんの受賞内容は次の通りとなっています。

冒険名

「リヤカーを引き世界各地を徒歩踏破4万3千キロ」

冒険内容

1975年から30年かけリヤカーを引き、世界各地を徒歩踏破。合計距離は4万107キロになり、地球赤道距離に相当する距離となった。
2005年は、再度リヤカー(田吾作ジュニア3号)を引き、1975年に行った日本縦断と同じルートで、当時お世話になった方へのお礼を兼ねて、北海道から鹿児島まで3000キロを79日かけて徒歩踏破した。
引用元:植村直己冒険館オフィシャルサイト

2016年で60歳になった永瀬さん。今から41年前に日本縦断から冒険がスタートし、35年後の2005年に、同じルートを冒険し、当時お世話になった方々にお礼をする冒険をしています。素敵ですね。

当時は49歳だと思いますが、日本縦断3000kmって、すごい体力ですよね。さすが冒険家・リアカーマン永瀬忠志さんです。

これだけの冒険家ですから、著書も多く出版しています。

  • 1982年『田吾作号の冒険』(立風書房)
  • 1986年『田吾作、アフリカを行く』(立風書房)
  • 1991年『リヤカーマン アフリカを行く』(学習研究社)
  • 1994年『サハラてくてく記』(山と渓谷社)
  • 1998年『アジアてくてく記』(山と渓谷社)
  • 2005年『リヤカーマン―徒歩で地球一周4万キロ』(遊タイム出版)
  • 2006年『リヤカーマン―地球一周4万キロを歩いた男』(毎日新聞社)
  • 2008年『リヤカーマン アンデスを越える』(日本経済新聞出版社)

永瀬忠志の冒険家としての41年間の記録!

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出典:テレビ東京

1974年(18歳) 自転車で日本一周7500km
日本の海岸部を50日間でグルッと一周する。

1975年(19歳) 徒歩で日本縦断3200km
リヤカー「大左ェ門」を引いて、北海道北端・宗谷岬から九州南端・佐多岬まで、日本列島の中央部を70日間で歩く。

1978~79年(22歳) オーストラリア大陸徒歩横断4200km
リヤカー「田吾作」を引いて、東海岸シドニーから西海岸パースまで100日間で歩く。

1982~83年(26歳) アフリカ大陸徒歩横断6700km
リヤカー「田吾作2号」を引いて、東海岸ケニアのモンバサから西海岸カメルーンのドアラまで、赤道地帯を徒歩横断する。さらにサハラ砂漠徒歩縦断に向かうが、ナイジェリア北部のカノでリヤカーごと荷物一式を盗まれてしまい、着の身着のままになったために、216日目に断念、帰国する。

1987年(31歳) 韓国徒歩縦断466km
南部のプサンから北部のソウルまで、11日間で歩く1988年(32歳) スリランカ徒歩横断360km西海岸コロンボから東海岸ポッツビルまで、9日間で歩く。

1988~89年(32歳) 台湾徒歩縦断536km
北部のキールンから南部のタイナンまで、14日間で歩く。

1989~90年(33歳) アフリカ大陸徒歩横断・サハラ砂漠徒歩縦断11100km
リヤカー「田吾作3号」を引いて、東海岸ケニアのモンバサの第一歩から、アフリカの旅をやり直す。赤道地帯を徒歩横断し、西海岸カメルーンのドアラへ。そこからサハラ砂漠徒歩縦断をし、フランスのパリまで、376日間で歩く。

1991年(35歳) ジャワ島(インドネシア)徒歩横断…成らず253km
西部のジャカルタから東部のスラバヤまで約800kmを歩く予定だったが、7日目にチレボンの手前5kmあたりで2人の男にナイフで脅されて金の一部を盗まれ、待ち伏せされるようになったために断念する。

1995年(39歳) マレー半島(マレーシア)徒歩横断408km
西海岸クアラスランゴールから東海岸クアンタンまで、11日間で歩く。

1996年(40歳) 南インド徒歩横断562km
東海岸パランギペタイから西海岸ベイプーアまで、18日間で歩く。

1997年(40歳) パラワン島(フィリピン)徒歩縦断414km
北部のタイタイから南部のバタラザまで、11日間で歩く。

1998年(42歳) モンゴル徒歩縦断864km
リヤカー「田吾作ジュニア1号」を引いて、北部のスフバートルから南部のダランザドガドまで、25日間で歩く。

1999年(43歳) タイ北部徒歩横断596km
東部のナンプーンから西部のメーサムレップまで、15日間で歩く。7日目から重いリュックサックを手車「ミニ田吾作ロッケン」に積んで歩く。

2000年(44歳) タクラマカン砂漠(中国)徒歩縦断590km
リヤカー「田吾作ジュニア2号」を引いて、北部のルンタイから南部のミンフンまで、11日間で歩く。

2001年(45歳) 紀伊半島徒歩横断155km
大阪府立堺工業高等学校機械科の生徒5人(当時、3年生)が製作した手作りリヤカー「田吾作スペシャル」を引いて、大阪府堺市から三重県の伊勢神宮まで、5日間で歩く。

2001年(45歳) カラハリ砂漠(アフリカ・ボツワナ)徒歩縦断591km
リヤカー「田吾作ジュニア3号」を引いて、南部のカニエから北部のハンツィまで、14日間で歩く。

2003~04年(47歳) 南アメリカ大陸徒歩縦断8800km
リヤカー「田吾作4号」を引いて、北海岸ベネズエラのプエルトラクルスから最南端の町アルゼンチンのウスアイアまで、266日間で歩く。

2004年(48歳) 沖縄島徒歩一周312km
リヤカー「田吾作ジュニア3号」を引いて、那覇市から8日間でグルッと一周する。これで今までの歩き旅の総距離は、4万0107kmとなり、赤道の「地球一周4万km」に到達した。

2005年(49歳) 日本徒歩縦断3000km
リヤカー「田吾作ジュニア3号」を引いて、北海道北端・宗谷岬から九州南端・佐多岬まで、30年振りに日本列島の中央部を79日間で歩く。

2006年(50歳) アマゾン徒歩縦断900kmリヤカー「田吾作4号」を引いて、マナウスからポルトベーリョまで、41日間で歩く。

2007年(51歳) アタカマ砂漠徒歩横断・アンデス山脈徒歩横断975km
リヤカー「田吾作4号」を引いて、太平洋岸チリのアントファガスタからアルゼンチンのヘネラル・グエメスまで、35日間で歩く。
引用元:日本経済新聞出版社

壮大な冒険の記録なんですが、なんと、永瀬さんの冒険は終わっていませんでした。

2015年には、アメリカのデスバレー国立公園を縦断するという過酷な冒険にチャレンジしていたのです。

7月19日に関西国際空港を飛び立ち、50℃近くまで気温が上がる、灼熱のデスバレーを、リアカーを引いて行程180kmを5日間かけて歩き、8月2日に無地帰国しています。

汗が一瞬で蒸発するような環境の中、今回も凄まじい冒険だったようですね。道中はキャンプをしながらとなりますが、コヨーテにも遭遇してとのことです。

永瀬さんの現在については次のページで