塩沼亮潤が満行した千日回峰行とはどんな行?

奈良時代に修験道の開祖である役行者(えんのぎょうじゃ)さんが創設された行で、1日の内に吉野山の金峯山寺蔵王堂から大峯山上ヶ岳山頂(1,719m)の大峯山寺本堂までの往復48km、高低差1,300mを超える険しい山中を15時間をかけて歩くという過酷なものです。

GoogleMapで金峯山寺と大峯山寺を記してみました。直線距離でも16Kmもあります。険しい山の中を片道24Kmの往復、しかもそれが一日の行程ということですから、非常に過酷です。

行者ではなく一般の方でも山上ヶ岳へ登頂することが可能です。登山口が設置されており、山頂まで3時間、下りは2時間半程度見ておくといいようです。山頂付近には宿坊もあります。女性は女人結界門までとなります。


出典:奈良県観光公式サイト

行に入るのは、山開きをしている5月3日から9月3日までのおおよそ120日間で、カンカン照りの猛暑や雪が降る凍える日、台風で雨や風が強い日や雷が轟く日であっても、そして、どんなに体調が悪い時でも関係なく1日休むことは許されず、行に出ることを9年間継続し、1,000日を積み重ねます。

毎日、午後11時30分に起床し、身を浄めるために滝に打たれます。

その後、宿坊から500段の石段を上って参籠所へ行き、行のための装束を身にまといますが、すべて白で統一されています。これは、死を覚悟して行に入るための死出装束であるためです。

右手に、左手には漆黒の闇を照らす提灯編み笠をかぶって地下足袋を履き、腰には短刀死出紐で結わきます。

行を終える場合は、満行するか、短刀か死出紐で命を絶って終えるかの2通りです。それぐらいの覚悟をもって千日回峰行に入るということです。

小さなおにぎりを2つ食べ、鞄に500mlの水と梅干の塩むすびを2つ入れて、午前0時30分、提灯の明かりのみを頼りに蔵王堂を1人出発します。

斜度が60度にもなるような斜面や、鎖がぶら下がる断崖絶壁を踏破して、午前8時30分に山上蔵王堂へ到着し、ご飯とみそ汁という質素な食事を食べ、少しの滞在ですぐに下山を開始します。

蔵王堂へ帰着するのは午後3時30分です。道中の15時間には、118カ所の神社や祠に立ち寄り、般若心経と真言を唱えるということです。

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出典:塩沼亮潤大阿闍梨オフィシャルサイト

蔵王堂に帰ってきてからすぐに休むことはできず、掃除、洗濯、明日の準備を自身ですべて行うため、日々の睡眠時間は4時間30分しか取れないということです。

おにぎり2個と水だけで、これだけ過酷な山道を15時間も歩いて4時間30分しか寝れないとなると体力も回復しませんね。

やはり、栄養が不足して1カ月もすると爪がぼろぼろに割れてしまい、3カ月を迎えるころには血尿が出るということです。

7年目を迎えるあたりから、積み重ねた過酷な日々の中で、骨が細くなってしまい、歯ももろくなり、肉も落ちてきて、肉体的にも精神的にも日々が限界となったということです。

極限状態の行では感覚が鋭く研ぎ澄まされ、山の匂いで「今日は雷が来るな」と思えば、100%の確率で雷となるということですから、想像できない世界ですね。また、山深い場所ですから、道中では熊や猪、鹿、猿、マムシに遭遇したりしたそうです。

また、行の序盤では怖いものをよく見たそうです。ある日、いつも通りに金峰神社に到着し、少し休もうと椅子に腰を掛けました。


出典:奈良県観光公式サイト

すると、甲冑を付けた2本の手が椅子のひじ掛けから出てきてグッと塩沼さんの手首を抑え、その手が徐々に上にあがってきて首を絞められそうになったため、渾身の力で立ち上がって椅子に向かって構えると、その手がスーっと椅子の中に戻っていったんだそうです。

ロープウェイから徒歩で2時間ほどですので、塩沼さんが午前0時30分に蔵王堂を出発して、金峰神社到着は午前2時くらいの出来事ではなかったかと思われます。

行の中盤では、提灯を下げて歩く闇の中にフワッと浮かぶ神様や仏様など、神々しいものが見え、行の終盤では何にも見えなくなったそうです。とっても不思議な体験です。

 

千日回峰行を成満した時の踏破距離は、48,000kmにもなります。地球1周が40,000kmですから、とんでもない距離です。

過酷な修業をするのは、『情熱をもって同じことを同じように繰り返す中で、悟りを得る可能性がある』と、お釈迦様が示しているからだそうです。

情熱を持ち続けていなければ、悟ることは叶わないということです。

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塩沼亮潤が感じた命の危険、生死をさまよった体験

行入りのときに、3回は生死の境を経験することになると師匠から言われたということです。

塩沼さんが経験したのは、まずはに追いかけられたことで、地響きが後ろから聞こえて振り返ると、牙をむき出しにして、塩沼さんめがけて走ってきていたそうです。

このまま逃げていてはやられてしまうと思い、杖を投げつけて威嚇したところ、熊が逃げてくれて助かったそうです。

もう一つは、道中で落石に見舞われたことで、杖が折れるほどの衝撃だったということですが、塩沼さん自身は無事だったということです。

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出典:塩沼亮潤大阿闍梨オフィシャルサイト

そして、人生で最も過酷だったという489日目からの10日間は、ひどい下痢と発熱で体調が悪化、尿は濃い茶色で1週間はほぼ何も食べられず10日で11kgも体重が減ったと言います。494日目は葛湯1杯で48kmを往復したと言います。

塩沼さんの激やせぶりに師匠も心配になり声を掛けますが、誰も行を止めることはできません。

中でも495日目が最も苦しく、いつもより1時間遅く起床してしまうほどで、意識が朦朧としており、ふらふらになりながら滝に打たれ身支度をして行に出発。

2kmほど行ったところで、杖や編み笠、提灯を持っておらず、無意識にペットボトルの水を両手に持っていることに気付いたそうです。

その後、とうとう暗闇で倒れてしまい、死を意識します。しかし、死への恐怖は無かったといいます。このままここで朝を迎えたら短刀で命を絶つしかないと思ったとき、育ててくれたお母さんとおばあちゃんの教えや、家族で過ごした幼い時から出家する日までの光景が思い浮かんだんだそうです

出家の日の朝、ご飯を食べ終わると、お母さんは塩沼さんの箸と茶碗をゴミ箱に捨て、言われた「もう帰ってくる場所はないという覚悟をもって行きなさい。砂をかむような苦しみをして頑張ってきなさい。」という言葉が朦朧とした極限状態の塩沼さんに聞こえてきます。

「自分はまだ砂を噛むような思いをしていないな」と思い、躊躇なく目の前の泥と石を口に入れ噛みしめた時、「こんなことをしていられない」と、情熱が溢れ猛烈に心が奮いち、立ち上がって歩き出し、そして走っていたということです。

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出典:塩沼亮潤大阿闍梨オフィシャルサイト

山頂到着時は、全身から湯気が立っているほどで、時刻はいつもと同じ午前8時30分だったということですから驚きます。不思議な話ですよね。

死を覚悟するほどだった極限状態だったにもかかわらず、家族との絆の強さと言葉の力、情熱で奮い立った心がぼろぼろの肉体を突き動かしたんでしょう。気力というものは凄い力を発揮します。

幾度かの死を意識する体験から、今は死に対して恐怖は無くまったく意識しないんだそうです。ただ思うのは、「生きられるうち、精一杯生きよう」ということだけだということです。

 生きて満行となる確率が50%という荒行である四無行と、TED×Tohokuの動画は次のページで